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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)5752号 判決 1985年3月06日

原告

平山竜崇

右訴訟代理人

伊多波重義

山元康市

金子武嗣

森下弘

被告

大阪府

右代表者知事

岸昌

右訴訟代理人

前田利明

右指定代理人

岡本冨美男

外五名

主文

一  被告は原告に対し、八万円及び内五万円に対する昭和五七年五月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を被告、その余は原告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、一八〇万円及び内一五〇万円に対する昭和五七年五月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五七年五月一〇日、恐喝罪の被疑事実により逮捕され、同月一一日、大阪府警大淀警察署(以下「大淀署」という)に勾留された。

山口茂樹(以下「山口」という)は巡査部長として大淀署の刑事課捜査四係の捜査主任の職にあり、平井基(以下「平井」という)も警察官として同署の捜査を担当しており、いずれも大阪府の公務員である。

2  山口、平井の両名は、原告の取調べを担当していた者であるが、昭和五七年五月一二日午前九時ごろから午前一一時三〇分ごろまでの間、大淀署刑事課内の取調室において、こもごも「ええかげんにはかんか」「警察をなめとつたらあかんぞ」「鉄砲はどうした」などと怒号し、原告をセメント床に正座させ、原告の毛髪を掴み、その頭部をセメント床に押さえつけたり、原告に付けられている腰紐を引張り、原告の身体を上下させ原告の両肘、両膝をコンクリート床に打ちつけたり、原告の背部、胸部等を蹴るなどの暴行を加え、原告に対し自白を強要した。

3  原告は、山口、平井の右暴行により三週間の休業加療を要する左肋骨骨折、胸骨部打撲、頸部捻挫等の傷害を受けた。

4  山口、平井の暴行を手段とする右取調べは、憲法三六条により禁止されている拷問であり、右方法による供述強制は違憲、違法な行為である。山口、平井は、公権力の行使に当たる公務員として、その職務を行うにつき、故意により違法に原告に前記傷害を与えたものであるから、被告は、国賠法一条により右損害を賠償すべき義務がある。

5  原告は、前記受傷につき、同月一五日午後、形式的な治療を受けたのみで放置されたのであり、その受けた肉体的精神的苦痛は極めて大きく、これを慰藉する金額は一五〇万円を下らない。また、原告は、弁護士である原告訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任したが、その報酬は三〇万円が相当であり、これは山口らの右不法行為と相当因果関係のある損害である。

6  よつて、原告は被告に対し、損害賠償として一八〇万円及び内一五〇万円に対する不法行為の翌日である昭和五七年五月一三日から右支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。<以下、省略>

理由

一当事者間に争いのない事実

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二警察官による原告に対する暴行。傷害の有無及びその内容について

<証拠>を総合すれば、以下の各事実を認めることができる。

昭和五七年四月当時、大淀署では暴力団平山組(山口組系佐々木組内平山組、組長は原告の実兄の平山博文であり、同人は当時受刑中であつた)から脱退した元同組組員に対する平山組幹部の恐喝被疑事件(被害額五五万円)を、山口、平井が属する大淀署刑事課四係が担当して捜査を進めており、同月二九日、平山組の若頭である宮永を逮捕し、同人の自白も取れたため、平山組の組長の実弟である原告を共犯者として探していたところ、昭和五七年五月八日ころ、大阪市東淀川区東中島町の内縁の妻岩城信子方にいることが判明し、同月一〇日午前九時すぎ、山口、平井ら大淀署の警察官四名が右岩城方に出向き、岩城とともにいた原告を逮捕し、同日午前一〇時ごろ大淀署に連行した。ただ、右五月一〇日は弁解録取手続を取つたり、被疑者写真を撮つたりして過ごし、翌一一日は勾留手続に一日をつぶし、本格的に取調べに入つたのは同月一二日からであつた。

昭和五七年五月一二日は午前一〇時すぎ、主任として右恐喝被疑事件を担当していた山口の指示により、山口を補助する立場で右事件の捜査を担当してい平井が、原告を大淀署の留置場から同署一階の取調室(約3.9m2)に連れて来て、部屋の壁際に置いてあるスチール製事務机の被疑者用の丸椅子に原告を座らせ、手錠を外し、腰紐の先端を山口に手渡し、これを受取つた山口は、右事務机をはさんでその東側にある捜査担当者の椅子に座り、またその右側には折りたたみ式の補助椅子を置いて平井が座り、まず山口が供述拒否権を告げたのち、右被疑事件についての取調べを始めた。

山口らとしては、被害者や宮永の供述等から、原告が右恐喝事件の犯行の実行者であることについては確信をもつており、したがつて原告も簡単に自白すると考え、原告に対する取調べの焦点は、共犯者の宮永が喝取した金員は原告が持つて行つたと述べていたため、右金員の行方を追及することにあるとの心づもりで右取調べに臨んだのである。

なお、原告には傷害・住居侵入・銃砲刀剣類所持等取締法違反行為などで逮捕歴が二回あり、また警察としては、実兄である平山博文の関係もあり、原告は前記平山組の幹部の一人であるとにらんでいた。

ところが、右取調べに入るや、原告は犯行を全面的に否認し、あまつさえ腕を組んで薄笑いを浮かべ、山口らを馬鹿にするような態度に出たため、山口は共犯者である宮永の供述内容をも突きつけて、原告の右態度をなじり、強く原告を追及したのであるが、原告は恐れ入るどころか、ますます態度を硬化させ、犯行を否認するとともに、一層反抗的、かつ居丈高となり、ついに立ち上がりざま机越しに両手で山口に掴みかかる有様となつたので、山口も椅子から立ち上がり、原告の手を振り払うとともに、原告の傍らに行き、肩を押さえつけるなどして原告を鎮めようとしたが、ますます興奮した原告が更に山口に突つ掛かつてきたりしたので、山口も対抗上、原告を押さえつけるなどの実力行使に出て、ようやく原告を制圧することができた。

しかし、原告は興奮状態にあり、とても取調べを続けることができそうにもなかつたので、山口は取調べを中止し、午前一〇時三〇分ごろ、平井に命じて原告を留置場に戻した。なお、原告は右山口から制圧された際に後記認定の傷害を受けたのである。

山口は、原告の態度から見て、共犯者の宮永と対決させるより仕方がないと考え、同日昼すぎ宮永を大淀署に呼び出し(宮永は同年五月八日処分保留のまま釈放されていた)、前記取調室において原告と対決させたが、金員の行方についての両者の見解は鋭く対立し、険しい雰囲気となつたので、午前中の出来事のこともあり、万一の事態の起こることを懸念した山口らはすぐに宮永を退席させた。

原告に対する五月一二日の午後の取調べは右昼すぎごろから午後二時三〇分ごろまでと午後五時すぎから午後六時ごろまでの二回行われたが、その間午後四時ごろ森下弘弁護士が接見に来たので、原告と面会させている。森下弁護士は、右面会の際、原告の前額部付近に赤紫色の新しい傷があるのを見て、原告にその原因を尋ねたが、原告は同弁護士とは初対面であり、全面的に心を許してもいなかつたため、右質問にはくわしくは答えず、ただ原告とはかねてから知合いの山下潔弁護士に面会に来てくれるよう伝言方を依頼した。

翌五月一三日の原告に対する取調べは午前中一回一時間半位と午後二回計二時間半位、五月一四日の取調べは午前一回一時間位と午後一回二時間余行われたのであるが、一四日の午後の取調べ前に前記山下弁護士が接見に来て、原告が受傷していることを確認し、右傷は警察官の暴行によるものであると原告から訴えられたため、同弁護士は直ちに大淀署に抗議を申入れた。そこで、山口は後日の参考資料ともする目的で、上司の命により、五月一二日午前中の取調べの際、原告が被疑事実を否認したうえ、山口に暴行を加えたこと及び同日午後、宮永と対決させて取調べを行つたことを記述した「平山竜崇に対する五月一二日午後からの取調状況と共犯者との接見状況について」と題する報告書を作成し(乙第一号証)、大淀署長宛に提出した。

五月一五日は午前中に一回二〇分間位原告を取調べたのであるが、同日もまた山元康市弁護士が原告に接見に来たりしたので、原告の受傷につき、万一警察側の手落ちを指摘されることを懸念した大淀署では、念のため原告を医師に診せることとし、原告の意向も聞いたうえで同日午後四時三〇分ごろ、大淀署の近所にある小山医院に原告を連れて行き、小山武俊医師の診察を受けさせ、同医師から「右前額、右肘、左右膝関節挫傷及び表皮剥離」の診断と治療(化膿防止のため軟膏の塗布と消炎抗素内服薬三日分の投薬)を受けた。

その後、五月一六日は日曜日のため取調べは休みであり、五月一七日も原告から申立てられた刑事訴訟法による証拠保全手続(原告の身体及び衣類の検証)や勾留理由開示手続が行われたため、一日中大淀署での取調べはなく、五月一八日は午前中大阪地方検察庁において取調べがなされ、午後は二回にわたり計二時間位大淀署で取調べを受けたのち、午後七時三〇分ごろ大阪地方検察庁検察官の指示により、原告は身柄の拘束を解かれて釈放された。

原告は、右釈放されたのち、その足で前記山下弁護士の事務所に行き、弁護士の指示により、翌五月一九日午前中に京都市伏見区にある安立病院で受診し、三週間の休業加療を要する「左肋骨々折、胸骨部打撲、頸部捻挫等」の診断を受け、同日午後は大淀署で行われた民事訴訟法による証拠保全手続(大淀署内の取調室、山口・平井が着用の靴の検証等)に立会し、翌五月二〇日、右安立病院の医師の勧めにより同病院に入院し、同年六月一日退院した。

ところで、右証拠保全手続における原告の身体の検証結果によれば、昭和五七年五月一七日午後一時五〇分から午後二時二〇分までの間の時点において、原告の身体には、前額部、胸部(左鎖骨の下)、左肩胛部、左肘部、左右膝部の八か所に0.3センチメートル×0.6センチメートルないし2センチメートル×3センチメートル位の大きさの血液凝固及びその痕群があつたほか、左側腹部、左腰部に鈍痛があると原告が訴えており、また、引き続いて行われた原告が五月一二日午前中に着用していた着衣についての検証の結果によれば、長袖シャツについては、その右袖の肘付近に血痕及び血痕の付着跡が点在し、右脇には10センチメートル×2.5センチメートルのほころびがあり、左右両袖及び左肩部に黒く汚れがあり、ズボンについては、左側膝下付近に0.4センチメートル×0.4センチメートルの穴が開いており、同付近のズボンの裏側には薄く血痕が点在付着し、また左右の膝付近と後側左右のポケット付近は黒く汚れが目立ち、下着の半袖シャツについては、背中に数か所靴跡が、また左肩付近に七センチメートル×五センチメートルの範囲で点在する血痕付着跡のあることが確認されている。

なお、原告及び宮永はともに昭和五七年一二月二七日前記被疑事件について不起訴処分となつている。

三山口の行為の違法性について

被告は、原告の前記認定の受傷(以下「本件傷害」という)は原告の山口に対する暴行行為によるものであり、山口には全く責任がない旨主張し、山口も同趣旨の供述をする。しかし、前記認定の本件傷害の部位やその程度・内容を見ると、右傷害はかなり重いものであるといわざるをえず、当時、原告が着用していた下着(半袖シャツ)には、暴行時に付けられたかとも思われる靴跡がその背中の部分に残つてもいるほか、五月一二日午前中の大淀署取調室における混乱状況も前記認定の経過をたどり、また前掲各証拠によれば、右もみ合いは原告の掛けていた丸椅子が倒れるほどのものであつたことも認められるのであり、更に、山口はその経過時間も一、二分間位であつたと述べているが、留置場を出されてから帰房するまでの時間の長さや平井は平井の中座していた時間は一五分間位であつたと述べていること及び本件傷害の内容等とも照らすと、右混乱の時間は一、二分間にとどまらず、かなり長い時間であつたと考えられるのであり、これらの各事情によれば、少なくとも山口が制圧のために原告に加えた実力行使(暴行行為)の程度、内容は相当に激しいものであつたことが推認されるのであり、一方、山口は当時三三歳位、身長一六三センチメートル位、柔道二段のベテラン警察官であり、昭和三〇年生れで同じ背格好の原告とは体力的にも決して引けをとることはなかつたばかりか、原告は手錠こそ外されていたものの腰紐は打たれたままの状態であり、しかも場所も大淀署内の取調室であつて、山口としては同僚警察官の助けを求めることも容易にできたはずであり(前記のとおり、混乱の最中に椅子が倒れていることからみても、激しい物音がしたと思われるのであるが、大淀署内にいた警察官が誰一人として取調室に駈けつけた形跡がないのは合点の行かないことである)、原告はいわば絶体絶命の立場に立たされていたのであり、また五月一二日午前の取調べにおいて、原告が山口らの見込みと異なり、被疑事実についての徹底的な否認と山口らに対する反抗的な態度に出たため、山口らは内心原告に対し穏やかならざる心情を抱いたことは容易に推察することもできるうえ、特に相手の原告は暴力団幹部と目されている人物であり、脱退した元組員に対する恐喝という被疑事実の性質からしても、取調べに手加減を加えなければならない事情は全くなく、また前記認定のとおり、原告がかなり重い傷害を受けているにもかかわらず、一方の当事者である山口には全く受傷した形跡がないことを考えると、原告の受けた本件傷害の原因となつた五月一二日午前中の大淀署取調室における山口の原告に対する暴行行為は、その契機は前記認定のとおり、原告の山口に対する反抗と先制的暴行行為にあるのであるが、このような原告を鎮める(制圧)に必要な程度を超えた違法なものであつたといわざるをえない。

ところで、前掲甲第一七号証によれば、原告は山元康市、森下弘両弁護士に対し、昭和五七年五月一二日午前中の山口ら両名の暴行は自白を強要するためのものであつたし、その内容も一〇回位腰紐で吊り上げて落し、横腹を蹴るなど過酷なものであり、また同日午後以降の取調べの際にも暴行を加えられたと供述している(右と同趣旨の前掲甲第八・九号証、森下証言はいずれも原告から聞いたことを述べた伝聞証拠にすぎない)。しかし、前記認定のとおり、そもそも昭和五七年五月一二日午前中の山口の実力行使(暴行行為)の発端は原告の方にその原因があつたのであるし、暴行の具体的内容も、原告の右供述は原告の一方的な言い分であつて、しかも本法廷で述べられたものではなく、また、山口らの供述も原告不在の場で述べられた当の本人の供述であり、その詳細は明確には認定することができないといわざるをえないが、少なくとも腰紐で吊り上げることなどは物理的にも不可能と思われるのであつて、右供述を額面どおりには受取れず、また、五月一二日の午後には弁護士が接見に来るなど、すでに弁護士が原告の恐喝被疑事件の捜査に関与してもきているのであり、そのような状況下において、捜査を担当した警察官が被疑者に対し不当な暴力行為を働くというのは非常識にすぎるとも考えられるほか、甲第一七号証は原告が本件訴訟の追行を委任した弁護士に対しなした供述を録音したテープを反訳したものであつて、相手方の反対尋問にもさらされていない、証拠としては不完全なものであり、その他、前掲乙第一・二号証や山口、平井の各供述とも照らすと、右甲第一七号証のうち、前記二認定に反する部分は到底信用することができないというほかはない。

四平井の関与について

原告は、平井も暴行行為に関与していたと主張し、供述(前掲甲第一七号証。その他、原告は前記認定の証拠保全手続における各検証の際にも同趣旨の指示・説明をしている)しているのに対し、山ロ及び平井は、宮永の呼出連絡のために平井は中座していたと供述する。

確かに、前記認定のとおり、当時原告が着用していた下着には靴跡が付いており、前掲甲第九・一〇号証、森下証言及び津金澤鑑定によれば、森下弘弁護士らは、当時平井が右靴跡と同種の靴底を有する靴を履いているのを現認したと供述していること、原告と山口のもみ合いはかなり激しいものだつたにもかかわらず、山口は全く受傷していないうえ、山口は大淀署の同僚の助けを求めておらず、また大淀署にいた警察官も取調室に顔を出した形跡が全くないこと(特に問題のない事件の場合は別として、本件のように暴力団幹部の犯行否認事件を隔離された部屋において、警察官が単独で被疑者の取調べに当たることは、のちに供述の任意性が争われたり、また時には本件のように被疑者が暴力沙汰に及ぶ場合もありうることを考えると、これを避けるのが警察における通常の取扱いとされているのではなかろうか)、前掲山口の供述によれば、山口は自白ずみの共犯者と否認中の被疑者とを対決させて取調べをするのは初めての経験であり、また捜査方法については上司の指示を受けることになつているというにもかかわらず、山口は共犯者宮永の呼出連絡方を平井に命じるに当たり、上司の承認も得ておらず、その相談もしていないことが認められること(被疑者が犯行を否認し、これをひるがえす気配を示さないときに、捜査担当官が共犯者との対決が必要と考えるのならば、一旦取調べを中止するなりして、上司と相談するのが通常の扱いではなかろうか)等の事情があり、これらを考えると、平井が山口とともに原告に対する暴行行為に関与していた可能性のあることを全く否定することはできないようにも思われる。しかし、前記のとおり、原告の供述(甲第一七号証)には重要な部分において信用するに足りないものがあることや前掲山口及び平井の各本人供述とも対比すると、現段階においては、平井も右暴行行為に関与していたと断定するには、今ひとつ決め手に欠けるものがあるといわざるをえない。

ただ、前記認定のとおり、原告の本件受傷につき、原告の取調べに当たつた警察官の一員である山口の行為が違法であるとされる以上、仮に平井が右行為に関与していないとしても、被告の責任に消長を来たすことはない。

五被告の責任について

原告は、公権力の行使に当たる公務員である大阪府警大淀署警察署警察官山口の職務執行中の違法行為により、前記認定の暴行及び本件傷害を受けたのであるから、被告は、国賠法一条に基づき、原告に対し、原告の被つた損害を賠償すべき業務があるといわなければならない。

六損害額について

1  慰藉料

前記認定の山口の暴行の動機、態様及び本件傷害の程度、内容、その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告が山口の暴行及びその結果としての本件傷害により受けた精神的及び肉体的苦痛を慰藉するに足りる金額は五万円が相当であると認められる。

2  弁護士費用

原告訴訟代理人らが原告から本件訴訟提起及びその追行の委任を受けたことは本件記録により明らかであり、被告の抗争の程度、内容、立証の困難性、事案の内容、認容額等を考慮し、山口の違法行為と相当因果関係のある損害として原告が被告に請求しうる弁護士費用の額は三万円をもつて相当と認める。

七結論

よつて、原告の本訴訟請求は、右慰藉料五万円と弁護士費用三万円の合計八万円及び右慰藉料五万円に対する山口の違法行為が行われた日の翌日である昭和五七年五月一三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言の申立てについてはその必要がないものと認めてこれを却下し、主文のとおり判決する。

(福富昌昭)

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